社会に広く貢献できる手応えのある仕事ができるのは
土木工学ならではだと思います

淡中 泰雄(たんなか やすお)さん

国土交通省
道路局 国道・防災課 道路防災対策室 企画専門官
(1995年卒業,2015年執筆))




日本を災害から守るための国のルールづくりに携わっています

 現在私は,国土交通省の本省で,防災についての施策を立案する企画専門官という仕事に就いています.
 仕事の内容としては,おもに3つあります.まず,地震や風水害が発生したときの道路や橋などの被害状況をまとめる「災害発生時の初動対応」.次に,地震が発生したとき,消防や自衛隊の出動や緊急物資の輸送などに迅速に対応するため,どの道路を優先して修復・使用できるようにするかを考える「災害予防に関する施策立案」.最後は,災害に耐えられるよう,橋などの構造物を強化・補強する対策を行う「防災に関する道路構造物対策」です.
 高校生のみなさんが覚えているものでは,平成26年2月,関東地方に発生した大雪による災害があると思います.このときは,多くの高速道路や国道が通行止めになり,交通機関が麻痺しました.情報を集めた結果,通行止めが長期にわたることが判明したため,ただちに除雪車などの応援部隊を派遣し,迅速な復旧への取り組みを行いました.
 このように,災害が発生したときは,休日も夜間も関係なく職場に駆けつける必要があります.そのため,私は今,皇居のお堀の内側にある防災官舎に住んでいます.大変な仕事ですが,防災分野の基本となる法律や政令などのルールづくりにもしっかりと携わることができるので,大きな達成感の得られる仕事だと思います.


やりがい,信念を貫いてやり遂げた仕事で社会に貢献できる喜びは格別です

 入省して7年目に赴任した熊本河川国道事務所で携わった白川の改修事業は,強く印象に残っています.
 当時,改修事業はまだ始まったばかり.10年という目標は打ち出されていたものの,どのような工程で進めるかは全く決まっていませんでした.そこで私は,約20kmあまりの改修区間を職員と一緒にすべて歩いて調査.区間ごとの事業計画をたて,関係する課や上級組織の九州地方整備局などと調整して,事務所一丸となって事業に取り組む体制を整えました.
 その後本省に戻り,次に鹿児島へ赴任した平成24年,九州北部が豪雨災害に見舞われました.白川も各所で氾濫しましたが,幸いなことに,改修を行った中心市街地には大きな被害は生じませんでした.
 翌年,熊本を訪ねたとき,当時の職員が,現在の白川の改修状況を逐一案内してくれ,「課長と一緒につくった工程表の通りに堤防を改修した結果,いちばん危なかった市街地での氾濫はありませんでした.反対運動があり,改修に躊躇する声もあった中,課長が『やるべきことはやるんだ』と,工程を引いてくれたおかげです」と言ってくれました.このような体験は,土木に携わる者でないとできないと思います.

 
大学で学んでいくなかで地元志向から全国へと視野が広がりました

 小さいときは,庭に道路をひき,紙で標識や横断歩道をつくって,ミニカーを走らせるのが楽しみな子どもでした.道路地図も,「工事中のこの道路がつながったら,どうなるのかな」などと想像しながら,飽きもせずに何時間も読んでいたのを覚えています.大学も,自分の好きなことにいちばん近い土木工学が学べる名古屋大学を選択しました.
 大学に入って変わったのは,視野が広がったことです.生まれも育ちも名古屋の私は,完全な地元志向.卒業後は,市役所で,地下鉄など交通分野の仕事をしたいと考えていました.しかし,大学でいろいろな先生の講義を聞いていくうちに,次第にほかの地域へも興味が広がっていったのです.就職活動を迎えるころには,「自分の可能性を全国で試したい」という気持ちが強くなり,国家公務員を目指すようになりました.
 名古屋大学で学ばなければ,このような変化はなかったと感じでいます.


たった一度きりの人生,納得できる進路選びをしよう

 高校時代は,土木といえば,とにかく「大きいことをやる」「荒っぽい」仕事である一方,「歴史に残る」「男の友情がある」仕事だと思っていました.大学に入学してみて,精密で緻密な理論に基づいて設計や理論構築がされていて,それらが優れた架橋技術やトンネル掘削技術を支えていることが分かりました.
 人生は,たった一度きり.自分がやりたいことは何か,よく考えて進路を決めてもらえればと思います.そして,自分の人生を思いっきり楽しみましょう.応援しています.